コルドバのメスキータ

コルドバで必ず見ておかねばならないメスキータ。

ヨーロッパでかつてイスラム教だった街がキリスト教の侵略をうけると、たいていモスクだったところがほぼすべて取り壊されて教会が建てられます。そこにモスクがあった形跡はほとんどなくなるか、あるいは土台を転用するため、装飾が入れ替わり礼拝堂が設置されるか……といったところばかりです。

しかしコルドバのメスキータは「モスクの中に礼拝堂がすっぽり収まった建築」なのです。

もともとコルドバはカルタゴ人によって造られたといわれています。その後フェニキア人、ローマ帝国と侵略され、紀元後712年にサラセン帝国が侵入することでイスラムの街となります。1236年にキリスト教に滅ぼされるまで、コルドバは繁栄を極めます。一時は人口100万を超えるヨーロッパいちの都市でした。
この当時、コルドバのモスクは増え続ける礼拝者を収容すべく、幾たびも増幅を重ねて巨大な建造物へと成長しました。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているのでアラベスクが主たる装飾で、メッカの方向を示す壁面のほかは屋根を支える柱とアーチのみ。そこには広大な円柱の森が広がっていたといいます。

今でもメスキータに入ると円柱の森を体感することができます。国際展示場を天井の低い石造りにしたような、というと身も蓋もないですが、ほんとうにがらんどうなのです。その空間が宇宙的で、屋根を支えるアーチの規則性や彫のほどこされた木製の天井などと相まって荘厳な雰囲気をたたえています。

この空間がメスキータじゅうに広がっていたらどんなにすごかったことか。
けれども、キリスト教侵略後、司教がメスキータの中央部を取り壊し、キリスト教の礼拝堂を建ててしまいます。

こんにちではむしろこちらの方が撮影スポットなわけですが……。

普通の建造物であったなら取り壊されるところであったこのモスク。しかしその広大さ、荘厳さがキリスト教の支配者をも圧倒し、司教は中央部を礼拝堂にするにとどめました。また、当時のヨーロッパ全土の支配者であったカルロスI世は、取り壊し後にメスキータを訪れ、これほどまでに見事な建造物を取り壊す許可を与えたことを後悔したといいます。

屋外にはオレンジの中庭とミナレットがあり、ミナレットには登ることができるようです。

コルドバへはパティオを目的として訪れましたが、メスキータの荘厳さにはただただ圧倒されました。
あの空間に足を踏み入れることができたのは幸せなことでした。すばらしい建造物です。

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アンダルシア旅程と旅の準備

コルドバのパティオ祭りを照準に、アンダルシアを旅してきました。
9年ぶりの海外旅行です。

コルドバのパティオに興味を持ったのは学生時代でした。
こちらの本。

南欧のミクロコスモス

丸善出版の「建築探訪」シリーズの一冊です。このシリーズは既に絶版になっていますが、古書などで比較的手に入りやすいと思います。

建築探訪シリーズの中には『南イタリアの小都市紀行』という本もあり、こちらは9年前の旅の道しるべになりました。今回は『南欧のミクロコスモス』より、スペイン・アンダルシアのコルドバとグラナダへ。

アンダルシア地方はイスラム教とキリスト教が攻防を繰り返した影響が色濃く残る地域で、特にコルドバはイスラム教時代、ヨーロッパ最大の都市でした。当時の人口は100万を超え、メッカへの礼拝のために街のモスクは拡張を重ね6万人を収容する巨大施設となりました。その後、レコンキスタでキリスト教がコルドバを奪還し、のちの司教がモスクの中にキリスト教の礼拝堂を組み込みました。出来上がったのはイスラム教建築とキリスト教建築が混在する、世界でも例を見ない「メスキータ」という建造物。これを見るのが今回の旅の目的のひとつでした。

もうひとつ、アンダルシア地方で特徴的なのは「パティオ」と呼ばれる中庭中心の住居建築です。過酷な気候や外敵の多い地域では、住居の外側は閉ざされ、中庭に開いた住居形態が多く存在します。特にコルドバは庶民の住居に程よい大きさのパティオが多く残る街です。それぞれのパティオの住民は、自分の空間をタイルや花、アンティークで飾り立てます。
これらパティオは外の道から個人宅へ入り、さらに奥にあるため、通常は見ることができません。しかし、花の咲き乱れる5月の半ばに開催されるパティオ祭りでは、我こそはと祭りにエントリーしたパティオが一般公開されます。次に海外へ行く機会があったら、パティオ祭りは外せない……と狙っていましたが、まさに今回がこの絶好の機会でした。

最後にアンダルシア地方で外してはならないのはグラナダの「アルハンブラ宮殿」。スペインのイスラム教最後の都市として200年ほど栄えたこの街の宮殿は、見事な細工を施した部屋がいくつも存在します。

これら3つのポイントを網羅する旅程をこんな感じで組みました。

5/09 00:50 羽田発 → 06:50 フランクフルト(飛行機)
5/09 09:30 フランクフルト → 12:05 マドリード(飛行機)
5/09 15:05 マドリード → 17:07 コルドバ(列車)

5/10-12AM コルドバ観光

5/12 14:00 コルドバ → 17:00 グラナダ(バス)

5/13 アルハンブラ宮殿観光

5/14 08:43 グラナダ → 12:07 セビリア(列車)

5/14 PM セビリア観光

5/15 13:30 セビリア → 16:15 ミュンヘン(飛行機)
5/15 21:25 ミュンヘン → 5/16 15:50 羽田(飛行機)

日本とスペインの時差は現在7時間です。中央ヨーロッパ夏時間の最西端なので、夜明けが7時ごろで日没が夜9時半。とっても遅くまで明るいです。

持ち物は最小限に抑えました。
気温はこの時期20度~30度とのことだったので、服装は夏対応で……といっても、グラナダは標高738mで街からシエラ・ネバダ山脈の残雪も見えるくらいなので朝はかなり冷えます。寒がりなのでヒートテックのタートルネックに半袖の被りものがメインでした。着ていくものともう1着。あとはレインコートにもなるスプリングコート、カーディガン、ストール。わりとすべて活躍しました。洗濯用の石鹸を持参して、下着などは毎日シャワーのあとで洗います。あと、普通この地方の夏は乾燥しているのですが、なぜか降雨にぶつかってしまい、念のため持って行ったちっちゃい折り畳み傘とレインコート、カメラ用のビニール袋が大活躍しました。
お化粧品は日焼け止めクリームと保湿剤のみ。
デジカメ関連はちょっと嵩みました。魚眼レンズと標準ズーム。メディアはリスクヘッジのためにSDカードを6枚持っていきました。毎日取り換えます。
スーツケースは56L(3~4泊用)を使いましたが往路はスカスカでした。

こんな装備で旅立ちました。
次はコルドバのメスキータの紹介です。

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GWの筑波山

筑波山の、女体山に上ってきました。
東の高いほう。

ゴールデンウイークに日本百名山に訪れるという愚挙。
行こうと思えばいつでも行ける場所に住んでいるのに。

でも、この季節の筑波山の自然の美しいことと言ったら!

というわけで、渋滞を避けて、
筑波山神社方面は避け、パープルライン経由でつつじが丘に8時半に到着。
つくばが誇るB級スポット「ガマランド」の脇を抜けて「おたつ石」コースから山頂を目指します。

この季節の筑波山、とにかくスミレがたくさん咲いています。
残念ながら盗掘でかなり減ってしまうそうですが……。

だいすきな二輪草も。

新緑も眩しく、日差しは温かく、日陰に入れば風はさわやか。

あと、この不思議な花。

調べていたら、耳型天南星というらしいです。ミミガタテンナンショウ。
サトイモ科の植物らしいです。
これは先が切れていますが、長くとがっているのが完全形。

筑波山は植物の北限南限の間にあり植物の多様性に富んだ山で、国立科学博物館が植物園の地としてつくばを選んだのもその多様性からなのだそうです。近年外来種が浸食してきたり登山ブームで貴重な植物が盗掘されたりと課題はありますが、また来年も見に来られたらいいなあと思います。チビっこたちも登山できるまでに成長してよかった。

グライダーも飛んでました。上昇気流に乗ると高いところまで行けるんですねえ。とんびみたいでした。
男体山の気象観測所と。

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5/6コミティアには参加しません

毎回欠かさず参加しているコミティア。
いつもお世話になっています。

今回、そんなコミティアに、ささきさは参加しません
その前後に予定を入れることになっていまして、結局コミティアの後に入ったのですが
申込時に判断できず、また準備に時間を割けないこともありやむなく参加を断念しました。

ずっと参加していたコミティアに穴をあけるのは忍びないのですが、
また次回からはコンスタントに参加する予定です。新刊もつくりたい……ロコノの続き……!
ロコノ、お待たせしてしまってとても申し訳ないです。
相変わらずのカメの歩みではありつつも確実に進めて、完結させますので付き合いのほどよろしくお願いします。

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さようなら、国土地理院VLBIアンテナ

つくばのランドマークとして愛されてきた国土地理院のVLBIアンテナが今年の初めに解体されました。

45mの巨大なアンテナは遠くからでもよく見えました。
思いのほか方向を変える速度が速くて驚いたものでした。
夕焼けを背にフイルムカメラを構えたり、吹雪を背に襟を立てる横を通りかかったり、
私にとっては特に思い入れのある施設でした。

このアンテナは宇宙の何かと交信するとか宇宙の秘密を解明するとかいうような類ではなく、
星の位置からつくばの正確な位置を測るという、
ものさしみたいな役割を担っていました。

長い間使われていたものさしは今ではほかの国の最新技術と釣り合いがとれなくなり、
また、つくばの田植えの時期に地盤の高さが変わるとかいう理由で
より地盤の固い隣の市に最新式の後継機を据え、その役割を終えることになったのでした。

昨年末に運用を終えてから、お皿がなくなるまではあっという間でした。
折を見て定点観測していた記録を並べてみました。

今では近くを通りかかっても、あのアンテナがいないので知らない場所にいるみたいです。

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