日本SF作家クラブ創立50周年記念トークイベント 「SFサミット―今宵はお祭り!!」に参加してきました。

 実はSFは、たぶん普通の人よりは読んでいるけど、SFファンといえるほどではない…といった微妙な位置づけのワタクシ。お話についていけるか心配でしたが、まったくの杞憂でした。もしかしたらいつものトークショウよりもSFの要素は少なかったのかもしれません。作家さんの執筆の話など、示唆に富んだ話題がいっぱいで、あっという間に2時間半が過ぎました。

 若木未生さんの作品は高校生のころ「ハイスクール・オーラバスター」にのめりこんだきり…でしたが、ご本人のお話を伺って再びファンになりました。ご自身の子供のころの体験から、どうしてSF作家を目指すようになったのか…という冷静な自己分析が特に興味深かったです。作家さんのお人柄からファンになることなんて滅多にないことです。なかなか貴重な体験。

 それから、執筆スタイルについて。アナログかデジタルか、で盛り上がりました。デジタルは修正が容易にできてしまうのでどうしても修正にはしりがち。それに対して手書きは勢いがある、とう主旨だったと思います。

 それについては私も思うところがありました。テキストは書かないのですが、写真の「フイルムとデジタル」や絵の「アナログとデジタル」は体験済みだから。

 フイルム写真は一枚の価格がポジだとフイルムと現像あわせて200円くらいかかってしまうわけで、そうするとその一枚を撮影するのに魂がこもるんです。絶好の瞬間にシャッターをきるんだ!って気迫でファインダーを覗くの。それに素人じゃ編集も容易にできないから、構図も撮影時に完結するように風景を切り取ります。フィルムも、光の条件や表現にあわせて選んでました。

 でもデジタルだととりあえず撮影して…ファインダーもろくすっぽ覗かずにとりあえず連射で数打って、構図も広めにとって後でトリミングしたりするじゃないですか。色だってその場でホワイトバランスや色温度を変えられるし、撮影後にフォトショップで色相変換しちゃえばわりとなんでもいけます。

 だから、完成品はフイルムとアナログで優劣つけがたくても、それに至るプロセスが全然ちがうんです。魂がちがう。気迫がちがう。おそらく「作品」と呼べるものは、そういう魂のありようがにじみ出てきちゃったりするんじゃないかな。

 絵もそうですよね。大きく違うのはUndoの存在。やり直しがきかないアナログは、ペン先筆先を紙に置くときの緊張感がまったく違います。

 たぶん文筆についても同じようなことがいえるんじゃないかしら。デジタルよりも手書きのほうが、文章を世の中に生み出すとき(文字を書いたりタイプしたりする瞬間)の完成度が高い気がする。デジタルだとそのあとの推敲がより緻密に行えるから、完成度の低いところを補完できて、最終形は優劣つけがたくなる・・・けど、世に生み出される瞬間の文章っていうのは何か力があるんではないかと思いました。それが勢いだったりするんではないかと。想像だけど。

 あんまりうまくいえないけど、そんな感想をもちました。

 雨のSFというお題で挙げられ作品はひとつもわからなかった・・・ わたしは小松左京の「つゆあけ」を思い浮かべました。でもあれは雨が降らない作品。

 登壇者のおひとり、池澤春菜さんとは、昨年度のきのこ展の絵を提出したり3月のルノテオ朗読会で朗読を聞かせていただいたりと間接的なご縁はありましたが、はじめてご挨拶しました(はじめましてってゆっただけですが)。

 この日はどんぐりが三つ編みしたようなかわいさでした。

 そんなこんなの、貴重な体験でした。
 SF読みます。

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